970.まもなく、2026年1月も終わろうとしています。
時間がすぎる感覚は、年とともに加速度的に早くなっていく…。
いつも言ってることですが、それを実感するのは40代なかばくらいからでしょうか?
よく、楽しいことはすぐに終わってしまい、苦しいことは長く続くなどといいますが、時間はいつも規則正しく刻まれていき、気持ちの問題で長いか短いかが決まってくる。
早く終われと思うと長いし、もっとこの時が続けいてほしいと思うとすぐに終わってしまう…と感じるわけです。
メンタルの相対性理論です。
「分からないことが分かっていないと、わからないことはわからない」
いまやってる、とあるTVドラマで、松山ケンイチ演じる自閉症の裁判官のセリフですが、ぱっと聞いてしまうと何言ってんのかわからないと思いがちですが、ちゃんと聞くと的を得ている。
わからないことが何かをちゃんと分かっていないと前には進めない、ということですね。
それはそんなに難しいことではなく、謙虚に物事を捉えればできることです。
わからないことが何かがわかれば、次のステップが見えてきます。
楽しいことはいろいろ知っているはずですので、なぜ楽しいと思うのかに気がつけば、その状況を作り出せば苦しかったことも楽しくなるかもしれません。
楽しいと思えることで埋め尽くせば、一生時間は終わらなくなる…、と感じるようになれる…、かもしれません。
アインシュタインの相対性理論は、理論と仮説により、分からないこと、説明できないことを、解き明かそうとしています。
宇宙のことで人間が分かっていることは5%しか無いと言われています。
量子コンピューターが実用化されようとしていますが、量子もつれや重ね合わせを利用し、データーを1と0で表したデジタルの概念を大きく超える1と0が同時に存在し、それを無数に並列化して処理するという、説明されても理解しにくい概念が、もう少しすると普通に語られるようになる。
時間という概念も今とは大きく変わってくるはずです。
タイパは少し前の流行語ですが、今まで時間をかけないとできなかったことが一瞬で終わってしまう様になったり、時間がお金に換算できるような事態ではなくなってくるかもしれませんん。
時給というのが死語になり、時間をかけるのは遊びや旅行や趣味の世界、要は好きなこと、楽しいことをするためであり、お金のためだけの労働やめんどくさい頼まれごとには時間をかけないようにする…と言ったことができるようになるかもしれませんね。
まあちょっと、年始よりハマっている相対性理論はさておき、写真と暮らすの実践はいかがでしょうか?
Oyzはいっときと比べ、写真を撮る量はかなり減っています。
逆にスマホ写真は増えているかもですが、より状況を観察し、何を撮るのかを吟味し、最適なデザインをイメージし、それが美しいかそうでないかで、結局撮らないケースが増えている気がします。
時間をかけてじっくり撮るイメージを考えるのですが、結局撮らない事になってしまった時、その時間を記憶してくれるようなカメラがないものかと…。
美しいかどうかを判断した基準は何だったのか、どんなイメージが欲しかったのか、刻一刻規則正しく流れる時間の中で、何を考えどんなイメージをして行き着いた答えは…何もしない…ということ。
その時間は浪費ではなく蓄積され、次のイメージに結びつくはずです。
写真は時間の蓄積です。
シャッターが開いた一瞬を記録しますが、その前後、そして古い記憶まで含め、様々な脳内イメージが行き着いた作品なのです。
95%が解明されていない宇宙と同じように、見える映像に残された部分はほんの一部。
今の世の中、目に見える画像は殆どが電子化され、データとして見えるようになってきており、そうした事によって何万光年も向こうの天体の発する電波や、素粒子が何かにぶつかったときに放つ僅かな光が見えるようになってきている。
その光を記録し、分析できるようになったのは光を捉える写真の技術なわけです。
時間の感覚から相対性理論になり、その研究を進めるための観測には写真の技術が大きく関わり、現代のあらゆる未知の部分を明らかにしていくことに写真はなくてはならないものなのですね。
宇宙や自然界のことだけではなく、心理や思考、そして生死についても、写真と暮らす事によって新しい発見が生まれるかもしれません。
その最も身近な相棒が、あなたのそばにあるカメラなのですよね。
スマホではちょっと役不足かもしれません、そのあたりはまた次回にでも。。。
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