953.またまたかなりご無沙汰してしまいました。
そして9月いっぱいは結構忙しく、撮影にもあまりいけてません。
まあ、まだまだ暑いし、台風も来たりでなかなか撮りに行くモチベーションも上がらない…。
台風15号の被害で停電もまだ続いているところがあるようで、当たり前に使っていた電気がこなくなったときに、その重要性に気付かされるのですよね。
カメラもそうですが、今の身の回りの機械はほぼ電気なしに機能しません。
一番機能しなくなるのがインフラですよね。
水道も電気がなくなればポンプが動きませんので止まってしまう。
ガスも今の所マイコンメーターはバッテリーで動いていますが、近い将来検針の自動化や遠隔監視などでスマートメーター化されていくと給電しないと動かなくなります。
今でも給湯器は電力が必要ですので、ガスや水道は生きているのにお湯は出ないからお風呂は入れない…。
まあ、何でもかんでも電気有りきになりすぎてるなぁ〜と思うのですが、便利さ優先でますますそうなっていくわけです。
停電なんて何十年に一回しか起こらないんだから、そんなこと気にするより便利な方がいいじゃん…となるわけですよね。
なんでも多様性が必要なんですけどね〜!
多様性がないと持続性に欠け、いずれは衰退していく…。
なんか話が脱線しっぱなしですが、まあお許しください…。
で、写真撮りに行ってるか…という話ですが、はいはい、毎週休日はどこかに撮りに行ってるよ…、という話ではありません。
そろそろピンクのコスモスだし、彼岸花も咲いてるし、空の雲も秋色だから、お天気さえ良ければカメラ持ってお出かけするし、遅い夏休みの旅行や、静かになった海辺の町や、星空撮影も行かなくっちゃ〜!
そうですよね〜、どんどんモチベーションが上がるシーズンですが、写真を撮りに行って、ちゃんと写真を撮りに行ってるか…というお話なのです?
なんのこっちゃ?
撮りに行ってるんだから、そりゃ撮りに行ってるでしょ!
行く…の意味が違います。
その場所に行く…のではなく、写真を撮るための行動をしているかということ…!
先週彼岸花を探しに行きました。
今年は日本全国でかなり遅いようで、例年ならお彼岸の日には満開になっている巾着田もまだまだこれからみたいで、だいたい1、2週間遅い感じです。
でもまあ、咲いているところは結構咲いていて、そんなところを見つけてはどう撮ろうか色々考えるわけです。
赤い花の群生、のどかな田園風景、稲刈りの終わった稲藁の田んぼや、まだ稲刈り前のたわわに実る穂先。
色んなものがあるわけですが、点在散在なのでイメージにまとまらない。
そんなときは被写体に集中…と思うわけですが、まだ咲き始めの彼岸花は個体ではあまり色も濃くなく、まだ蕾の子も結構あって花のアップに耐える美人は少ない…。
良く、花撮影は早い時期に行くに越したことはないと言ってますが、彼岸花の場合は咲き始めは色が薄く、なんだかすすけた感じになってしまい、みずみずしさが有りません。
それに蕾はなんだか赤い唐辛子が立っているようで、いまいち可愛いとは言えない…。
もう一週遅ければ結構満開に近くいい感じなのになぁ〜と思いつつ、彼岸花の開花は一週間ほどですので、桜と比べてもさらに短い感じ…!
やはり湧いてくるイメージは一面赤く染まった群生の中の、妖艶な美女…なのですよね〜。
彼岸花を探しに、一応色々紹介されているエリアに来たわけですが、確かに最盛期にはたくさんの群生が見られるのでしょうが、観光のために整備され栽培されているようなところではないため、あくまで道端の、畦の土手の、田んぼの狭間に咲く…というイメージです。
ここちょっとたくさん咲いてるから撮ろう…では、そこにたまたまあったちょっときれいな花を撮りました…という、「有ったから撮り」になってしまいます。
これは少しでもたくさん咲いているところを探して歩き回っていたとしても、たまたま少したくさん咲いているところが見つかっただけで、それをそのまま撮っても訴えかけるものがない…。
彼岸花の赤さがアクセントであっても、巾着田を見た人からすれば「ああ、あぜ道端の彼岸花ね…」程度で、日本の秋の始まりの素朴な田園風景が十分伝わってきません。
まあせっかく来たし、一応花も咲いてるので撮っておこう…程度なのです。
こんな写真が撮りたいんじゃない…、と思ってしまうのですよね。
お腹が空いていたうえ結構日差しが強く、早く涼しいところでお昼ご飯に行こうと思うし、まああんまり咲いてないので、これ以上探してもいいスポット見つかりそうにないなぁ〜と思うので、どうも気合不足…!
これでは見ごたえのある写真が撮れるはずも有りません。
さらに、なんかピンとこないなぁ〜と思うのは、最近の忙しさで撮影がおろそかになっていて、感性が鈍っている感じがヒシヒシとします。
そう、撮ることをやめてはいけないのですよね。
写真と暮らす…ということができていない証拠。
カメラを持っていなくても、瞼はいつもシャッターなのです。
あー、駄目だ駄目だと思いつつ、お茶を濁すような写真を撮ってしまうわけです。
被写体とカメラに写真を撮らされている…、とりあえず撮らせてもらってる…そんな受け身な感覚です。
写真を撮りに行ってるけど、写真を撮る行動ができていないということなのですよね。
もっとじっくりベストなスポットを探し、時間をかけて輝く一瞬を待つ…。
まずはそうした撮り方をちゃんとしないとだめだなぁ〜と思います。
主題が明確になり、浮かび上がる被写体に周辺の不要なものが霞んでいく感覚。
自分の主体性で写真を撮りに行くということ。
根本的に旅行の記念写真やスマホで撮る記録写真とは全く次元の違う、作品として通用する写真。
そんな写真を撮る感覚をちゃんと養わないと行けない…、それは「写真と暮らす」感覚だったはず。
その感覚は撮ることをやめた途端、確実に退化していきます。
そしてもっと貪欲に写真を撮るために行動しなくてはならない。
節度を持ってね…!
OyZが少し遠いけど200mmの望遠で道路から撮影していたら、その隣で撮っていたいわゆる団塊の世代あたりのカメラ親父が、どんどん咲いている花目指して田んぼの中に入っていくのですよね。
えええ…!それ勝手に入っていくのはNGでしょ〜!
田んぼは人の土地ですし、踏み込まれては困る事情もあります。
彼岸花の咲くあぜ道は田んぼにとって重要な盛り土ですし、農家にとっては守らなければならない来年に向かっての糧です。
安易に踏み込んで畦を崩してしまったり、そもそもまだ成長していない彼岸花の芽を踏んでないかい?
OyZの基準はこうです。
舗装された道路はもちろん歩けますが、轍のないような細い田んぼの中の通路は基本持ち主の承諾がないと入ってはいけません。
畦は上を歩く通路ではなく、田んぼを区切る仕切りなのですよね。
よく絶景棚田スポットで平気で田んぼのあぜ道に入っていく輩がいるのですよね。
それも「入らないでください」と書いてあるのにね。
お前のせいでそのうち撮影禁止だと言われるのがわからんのか〜!と、怒鳴りたくなってしまいます。
どんなに貪欲に撮影行動を起こしても、撮影マナーはちゃんと守りましょうね。
写真を愛するみんなのために。
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